会員寄稿文

京都朱雀ロータリークラブ 創立30周年記念誌

会員寄稿文

 

2022-23年度会長
木村 雄太郎

30周年を迎えて、そしてロータリークラブの一員として

京都朱雀ロータロークラブの皆さん、創立30周年、誠におめでとうございます。
現在、日本の企業の平均寿命は約30年と言われており、その平均寿命を超え、いよいよ老舗(?)の領域に入ることが出来ました。今までクラブを支え、運営されてこられましたチャータメンバーはじめ、諸先輩方々のご尽力に感謝申し上げます。

私はサラリーマンでクラブに入会しました。この朱雀ロータリークラブにお世話になって10年、一端の部門長では知り得ない社会の仕組みを学びました。
サラリーマン時代は、鉄やアルミから複雑な新製品を開発して自慢していましたが、後に、色んな金属が混在する廃棄物から鉄やアルミを抽出する技術の方が難しいことを知りました。また、材料調達で数百億円を回していた時代もありましたが、銀行に頭を下げてその資金を調達することなど、考えたことがありませんでした。
モノやお金が循環することで企業が成長する仕組みに気づいたのは、恥ずかしながら50歳を超えてからでしょうか。さらに、モノやお金だけでなく、人の想いや貢献が地域社会の中で循環して、共に成長することを実感したのは、実はロータリークラブに入ってからのことです。

会員の皆さんが、社会や青少年の問題・課題に興味を持ち、深く知ろうとする。そして自分事として解決に向けて貢献する。サラリーマン時代では、自分たちの組織以外のことを“利益”抜きで真剣に考えるなどありませんでした。

社会貢献をしたいと思っても一人ではその術が判りません。ロータリークラブの一員であることで社会とつながることができ、そして貢献することで共に豊かになれることが、サラリーマンを超えた人としての価値であろうと思っています。実はこの想いを今年度のテーマの『社会とつながろう、そして共に豊かになろう』に込めています。

社会の構成要員として組み込まれた歯車を回すというロータリークラブのロゴの意味を改めて実感し、サラリーマンより高い視点で、地域に、そして社会に貢献出来ればと考えています。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


2022-23年度幹事
藤田 祝子

 30周年、誠におめでとうございます。
 私がこのクラブに入会して13年目になります。10年前の20周年事業の盲導犬事業は何も関わっておりませんでしたが、その後の25周年事業の香港フィナンシャルセンターロータリークラブとの姉妹クラブ締結、そして経済的な理由で海外渡航が困難な高校生を10日間の香港への派遣を実現する事業に大きく関わらせていただきました。本来、毎年交互に香港との短期留学を継続する予定でしたが、香港の政治情勢によりこの事業は1回で中断しています。京都市教育委員会と連携しての大きな事業を、ほんの一回限りでしたが成し遂げることができたのは、このロータリークラブに属していたからだと思っています。ひとりの医療者としての社会人では決して不可能だったことであり、その時に一緒に活動した仲間は大切な宝だと思っています。そして、この30周年は幹事として迎えることになりました。
 ロータリーでの活動は私の人生に彩りを与えてくれています。これからも皆様、どうぞよろしくお願いいたします。


30周年事業実行委員会
委員長   深田 金嗣

30周年に想う

今年の春で私のロータリーライフも26年になりました。思えば様々な事柄が思い浮かんできます。二年目で親睦委員長、三年目でS.A.A仰せつかり、それぞれがどんなものか全くわからないままに、生来の楽観主義でほいほいと引き受けて、気が付いたら8年目で幹事という事になりました。壁瀬さんが会長の時です。その当時のことは結構覚えています。私の仕事の調子が今一つで、率先垂範すべてを自分でこなさなければならないという事態になっていたのです。
 理事会の当日、それも直前にこれこれの議題で、というだけで打合せは一切なし、すべてぶっつけ本番でした。ところが壁瀬会長のその時の対応、泰然自若全く揺るぎもなし、悠々と的確なしかも自信に満ちた対応には、恐れ入ったものでした。そんな全く不真面目な幹事でしたが、私の気持ちとしては必死でした。
もう精いっぱいで、これが終わったらロータリーは辞めようと考えていました。
 もうそれから18年にもなります。幹事の仕事も先が見えたと思った時、私の仕事も何とかなってきました。若い人たちがだんだん成長してきて、私の代わりができるようになってきたのです。
 当時の我がクラブの年間の行事は、新年度の7月には理事、委員長の親睦会を皮切りに、夏の親睦会、秋には旅泊研究会の旅行、忘年会、新年会、春の親睦会、そのあいだあいだに情報集会、6月にはお疲れさん会、などなど切れ目なく飲み会が催されて息つく暇のないぐらいの、親睦活動のオンパレードでした。
 当時の様々な人々との交流は、ほぼこんな飲み会などに収斂されています。
そこには全く損得勘定がありません。ただただ本音で話をし、その相手のことを思い、その素直な感情に感動すら覚えます。その感動が楽しさになります。あの時は本当に楽しかった、と心から感じられるのです。
 このコロナ禍で、こんな機会が本当に少なくなりました。そして年相応の体力の衰えがあります。あの時代をもう一度とはならないでしょう。若い人たちがそんな情景を引き継いでほしいと心から願っています。


青竹 邦男

京都朱雀 RC の創立30周年の記念すべき日を迎え、感無量です

スポンサークラブの京都南RC故内田昌一ガバナー 特別代表・岩佐孝雄拡大委員長(会員増強と違いクラブを増やす事を拡大といいます。)の並々ならぬご奉仕を頂戴し、お互い顔も知らないメンバー41名が1992年夏の暑い日、初めて会同した日から京都朱雀 RC の結成に向けての活動が開始されます

それまでは、同業者や同窓生などしか友達がいないわれわれにとって一度に41名の、それも異業種の経営者という素晴らしい友人が出来ました。 ロータリークラブという馴染みのないものについて多くの南ロータリークラブのパスト会長を中心に何か月にもわたって懇切丁寧なインフォメーションを頂き、 多少は分かった様な気がしましたが、 兎に角、 手続要覧にかじりついて勉強しました。
新しい友人たちと毎日のように呑み会を開いて親睦会兼勉強会が開かれ、 先ずは顔と名前と職業を覚え、たちまち長年の友人以上に仲良くなりました。 こうした状況で3月13日第1回例会が開催されました。
未だ一人前のクラブではなく仮クラブということでバッジを頂くところまでいきません。開会点鐘も内田特別代表の手で実施されたのです。

卓越した指導者の故三浦隆彦様を初代会長に仰いだ事も順調なスタートをきれた大きな要因でした。 私も職業奉仕委員長として理事会のメンバーに加わりま
した。

漸く京都朱雀ロータリークラブは発足しました。 ビジターの例会参加も可能となりました。南ロータリークラブをはじめ毎週水曜日の例会には多くの来訪者がありました。 中には他地区のガバナーや外国人の姿もありました。
ゴルフ同好会(北海道や鹿児島などへの遠征も含めて今では100回を超える歴史をもつ)や旅行を趣味とするメンバーで旅も結成され全国を旅行する楽しい思い出をつくりました。

6月にはチャーターナイトを開催し、 ガバナーはじめスポンサークラブの京都南RC はじめ市内外の各クラブより300名以上が京都グランドホテル (現在のリーガロイヤルホテル京都)に参集され、 大変、 派手なパーティとなりました。

初めの頃は理事会にも例会にも内田昌一さまはじめお眼付役が臨席され、なかなかプレッシャーを感じながら会務を行ったことも思い出のひとつです

その間、三浦様、 今安様、 堀様、奥平様、 などとの悲しい別れもありました。中でも堀一幸さんは私の会長年度に幹事を引き受けて頂きました。 頼りない会長を助けて、見事にその職務を果たされました。 悪い病に倒れ、 早すぎたご逝去は惜しみてもあまりあります。

社会福祉はクラブの重要な事業として毎年、工夫を凝らし、地域のニーズを探り、第1に全会員の参加を求めて実施されました。 職業奉仕は会員の事業所の訪問や例会での四つのテストの朗誦などに努めました。 最近は増強委員会の格段のご努力の甲斐あって若い新会員のご入会がありクラブの若さと活力を感じます。 新会員の自由で創意あふれるご活躍を心から期待します

今のようなのんびりと例会をやっているのも楽しいですが当時の緊張感もなかなかの思い出となりました

創立30周年。 心からお祝いし、 7人残っているチャーターメンバーの一人としで、30年の楽しい思い出を大切にしてお祝いの会に参加させていただきます。


藤井 康弘

30周年記念に寄せて

 京都朱雀ロータリークラブ30周年おめでとうございます。私は、20周年記念の前年に京都朱雀RCに加入し、25周年、30周年と今回が3回目の周年事業への参加となります。20周年の際は卵から生まれたばかりの何も分からないような状態で参加し、25周年は少し歩けるようなヒヨコになりましたが、大してお役に立てることもなくというような状態でした。
 そして、いよいよ3回目の周年事業ということですが、やっぱりヒヨコのままで、大したこともできずに終わってしまいそうです。
 25周年から30周年を振り返ってみますと、SAA、国際奉仕委員会委員長、国際・青少年奉仕委員会委員長等をさせて頂きました。青少年奉仕委員会では藤田先生、SAAでは権幹事に、非常に助けて頂きました。助けて頂いたというより、私の仕事までして頂いたと言っても過言ではありません。SAAで、例会の直前に会場に着いても、ゆっくりご飯を食べられていたのは、権幹事のおかげだったのだなぁと思っております。青少年奉仕委員会の企画では、藤田先生のご尽力で、私の高校時代の担任の先生と25年ぶりくらいに再会するという機会もありました。挙げればキリがありませんが、増田さん、福川さん、藤森さんをはじめ、色々な方に支えられながら、RC会員を続けられております。改めて御礼を申し上げます。
 新型コロナのため、制約も多かった数年間ですが、早くテーブルの上のアクリル板が取り外され、会話が聞き取りやすくなれば良いなと願っております。
今回の原稿を書くにあたり、改めて20周年、25周年記念誌の私の原稿を読み直してみましたところ、いずれも5年後頑張りますというようなことを書いておりました。5年後に、京都朱雀RCにいるかどうかも心許ないところではありますが、今回も、35周年事業では頑張りたいと思いますという思いを胸に、この原稿の筆を置くことにします。


藤森 治

京都朱雀ロータリークラブ創立30周年おめでとうございます。
私が京都朱雀ロータリークラブに入会させていただいて、5年が過ぎました。
まだまだ新入会員ですが、あっという間の5年でした。
入会させて頂いた日、見渡すと立派な方ばかりで、これは大変な会に
入ってしまった。しかも毎週例会があるので、どうしようか本当に
悩みました。私はボランティア活動もそれまで、あまりしたことも無く
パソコンも不慣れで、スピーチも嫌いな適当な性格の人間だからです。
ところが、例会に出席してる間に皆様にとてもやさしくして頂き、
週に一度お会いするのが楽しみになってきました。
同好会もいろいろ、熱心に運営されており、その中のゴルフにはまることになりました。
ただ、いまだに私が京都朱雀ロータリークラブに在籍していてもよいものか、
フッと思うことはあります。
2年半すぎても猛威を振るう新型コロナの期間、京都朱雀ロータリークラブの活動は
本当に心をいやしてくれました。
今回30周年を迎えみんなで楽しくお祝いしたいと思います。


福田 裕子

早や5年!もう5年!!本当に月日の立つのは早い。
ごきんじょのおちびちゃんがすっかり大きくなっておられて「お兄ちゃんの身長の伸びは止まった?」と尋ねますと「ハイ!」私は後期高齢に入りるお願いが届いて、いろいろ言っておられた意味がわかるという一生懸命はたらいて、老後少しでも楽なようにと個人年金をせっせとが・・・
竹得に加算されているという(涙)まあ今のところ元気で現役で仕事を続けられて」いる!?実は後継者がいないから。なるようになるさアと慌てふためかない自分に驚かない今日このごろです。寄稿文をと言われ何をかいて良いのやら、月刊誌を出していた頃は、すぐ一ヶ月がやって来て「良くやっていたなあ」と思い出して、やっぱり若いってすばらしい!!どうぞ絶大なる可能性をること無くうまく伸して行ってほしいと願う老婆心を!
30周年記念事業に苦労された方々誠にありがとうございますと感謝申し上げて、RCライフを続けさせていただきます。


福川 雅之

京都朱雀ロータリークラブ創立30周年、誠におめでとう
ございます。
ここ2~3年は、コロナにより長い間休会になってしまた時もあり、中々に厳しい時期でありました。
久し振りにお会いする会員の皆さん」との例会は、新鮮ですごく心地の良の再会でありました。
自分自身、ロータリークラグの事が大好きなんだなあとつくづく感じることができました。
前年度、コロナ禍で色々と制限があるなか行われた、社会奉仕事業の「子供食堂支援活動」はすばらしい奉仕事業であったと思います。
創立30周年の記念事業として、さらに深掘りした支援活動が行われるようクラブ全員で協力し、気持ちのこもった記念事業となるよう頑張りたいと思います。
今後益々、友情の輪を広げ、掛けがえのないロータリーライフを過ごして行きたいと思います。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。


舩橋 恵子

京都朱雀ロータリークラブ30周年! 
「30年」の長さを感じるため、30年前の自分を思い返してみました。
 1992年3月、バブルははじけ、「就職氷河期」という言葉が流行していたのですが、私自身は、時代の変化をぼんやりとしか感じていなかったような気がします。
京都市に入庁して丸2年、新規採用で区役所職場に配属されたため残業も少なく、他の若手職員とテニスをしたり、スキーに行ったり、遠方までの弾丸ツアーに行ったり等々、私自身が余裕のある生活だったからかもしれません(ただ、その後は、不夜城で地獄を見続けることになりましたが・・・)。
ふらふらした大学生から、まっとうな社会人へと移行する過程だったともいえるでしょうか。
で、当時と今とで、私には変化があったのか?心性的な部分はあまり変わらないように思います。
ただ、年齢を重ね、家族関係にも変化があり、社会の中での私の立ち位置や果たすべき役割は、当然ですが変化が生じていると思います。

朱雀ロータリークラブの発足時を私は直接はしりません。
私が経験しているのは2016年10月以降のクラブであり、しかも、優秀なクラブ員でない私は、十分にはクラブの全容が分かっているわけでもないように思います。
ただ、クラブの活動に関わる頻度や深度が増せば増すほどに、当然ですが、そこから得られる刺激や経験が増すということは、十分に理解しています。
私自身が、クラブの中で、あるいはクラブの外の方に対し、活動を通じてよき刺激あるいは経験となれるよう、持続可能な範囲で(すいません)精進したいと考えています。


権 五明

30周年を迎えて

京都朱雀ロータリークラブに入会させて頂き、早10年が経過いたしました。
様々な活動の中でその時々において メンバーお一人おひとりと親しくさせて頂き、
敬愛する先輩方と多くの友人に恵まれました。
私にとって素晴らしい人との出会いこそがロータリー活動の一番のモチベーションだったように思います。

振り返りますと、奉仕活動や幹事職を通じてたくさんの経験をさせて頂きました。
青少年奉仕委員長時の海外青少年交換学生担当、香港フィナンシャルセンターロータリークラブとの姉妹締結、何らかの理由で海外留学が出来ない3名の学生の香港派遣、
諸般の事情により今回の30周年式典において香港フィナンシャルセンターロータリークラブのメンバーの皆さんとお会いできないのは本当に残念です。
25周年に向けて24周年より行っていた合同委員会では2年間同じメンバーとの活動で
信頼や絆が生まれ、実のあるものでした。
また一昨年の浦谷年度での幹事職はコロナ禍によって、自身の事業や仕事もままならない中での大役の責務は私にとってプレッシャーのかかる日々だった様に思います。
しかしながらその中で多くの事を感じ、学び得たことは今後の私の人生にとってプラスに働くことと思います。
幹事職の大役を終えられた事、会員の皆様に心より感謝しています。

こんな心境で今年30周年を迎えています。さて、35周年にはどの様にロータリークラブの活動と向き合っているのか今から楽しみです。
木村会長、藤田幹事、今年度お世話になりありがとうございます。
輝かしい30周年になります様、祈念致します。

京都朱雀ロータリークラブの会員の皆様、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。


後藤 宗国

創立30周年おめでとうございます。


波柴 忠利

朱雀ロータリー30周年おめでとうございます。 私が入会してこの9月で17年になります。 クリスマスに連れてきていた孫たちも、二人が大学生になりました。 それに伴い私も超高齢者になり、仕事も息子に譲り週に2回ほど朝だけ仕事していましたが、 オミクロン BA5の大流行にともなって朝だけ診察をして息子がPCRの検査をやっています。
 この3年余はコロナに追われてロータリー活動も及び腰ですし、 旅研もお休みの状態が続いて寂しことです。 入会して会員のお世話になって、 我が家の耐震を兼ねてリフォームしてもらいましたが、 その時お世話になったメンバーもお亡くなりになって、 家のトラブルに相談してくれる人を失って困っています。 診療所の新設のときの建築会社も倒産して、 何かと不便になっています。
私の大好きなゴルフも会員のコンペ、朱雀会で去年の12月に、 81歳の時でしたが39, 38で回ってエージシュートを達成しました。 長いことゴルフをやってきた私にとって大変うれしかったです。何年か前に城陽カントリーでホールインワンしたとき以来の快挙でした。それ以降のゴルフの成績はさんざんですが良い思い出になりました。
 いつまでも皆さんにご迷惑をかけなくてロータリーライフを楽しめるかわかりませんが宜しくお願いします。


橋本 眞一

30周年記念誌原稿

3周年例会時に佐東さん、昨年逝去された奥平さんと同時に入会したのが44歳の時でした。その5年前、子供の少年野球チームで今は亡き堀さんと知り合いに…この出会いが私のその後の人生に大きな影響を及ぼすことになりました。41歳時に堀さんが初代会長を務められたワイズメンズクラブに入会(無理やり…)、その3年後に朱雀RCに誘われました。ちょうど会社では社長になった年でもあり結構忙しくてあまり気乗りはしなかったのですが…当時ライオンズクラブの古いメンバーだった父に相談したところ2つのことを言われました。1つは入会したらクラブの例会だけでなくいろんな行事を含めて80%以上は出席すること、2つは将来そのクラブの中心的な存在になるという意識を持つことでした。このように言われたものの考える間もなく断り切れずに入会しましたが、1つ目は何とかクリア、2つ目は未だにそのような意識は持てず今日まで…。ただ良いメンバーに恵まれこの27年間楽しいクラブライフを送れて来たことは幸せなことだと感謝しています。


幡南 進

朱雀ロータリークラブに入会して。

在席5年となります。私的には小学生のころ「ロータリークラブ」という言葉と
「ロータリーの人」という大人に出会う時には、「凄い偉い人なんだな~」、
そう思っていた記憶が蘇ります。

それが現在は朱雀ロータリークラブに在席をさせて頂き、小さな頃の思いと現在の自身の立場とに思う所が有ります。私は決して偉い人ではなく、普通のおじさんと自負しています。しかし今の子供たちにとっては、やはり私たちロータリーの人とは距離の有る存在なのかな~と感じたりします。

その様な思いの中、今期は社会奉仕委員長として「こども食堂」をサポートするという事業で、子供達と触れ合う機会を頂きました。こども食堂さんとご一緒に活動する事も大切かとは思いますが、是非、子供達とロータリアンの距離が近く出来ればと考えています。身近に頑張っているおじさんたちがいて、そのおじさんは普通のおじさんなんだ。
子供たちがこの様に思ってもらえる一年間となればと思い、活動をしていきたいです。
30周年記念式典では、子供達と近い距離での活動報告が出来ることを、今から楽しみにしています。
ご一緒に活動して頂ける、関係者やメンバーの皆様へ感謝をお伝えしたいです。
よろしくお願いします。そして、ありがとうございました。


岩見 真也

朱雀ロータリークラブへの思い

 2005年、生まれ育った鳥取の田舎で大学を卒業し、私は単身京都に来て株式会社クカニアという設計事務所に入社しました。当時、朱雀ロータリーの会員でもあった代表の西巻優さんにそこから約10年間お世話になりました。毎週水曜に、ロータリー例会への送迎を頼まれ、運転手をしていたことを懐かしく思います。

西巻さんはよく桂離宮の話をしてくれました。『桂離宮は奥へ進むたびに新しい景色が展開される。空間の絞りと広がりを意図し、全体が一望できないように複雑に形成されている。この意識は朱雀ロータリーの会員関係や活動内容と重なり、学ぶべきことが多い。』というような事をおっしゃっていました。当時の私はそんなこと言われても、よく理解できませんでしたが、現在少しは意味が分かったような気がします。そんな独創的な感性をお持ちの西巻さんから、設計業務、会社運営、日本文化など沢山のことを教えていただきました。

 その後、2017年に正式に自分の会社を設立しまして、京町家の改修をメインに建築設計の仕事をしています。先代が何代にもわたって繋いできた日本文化のよい所を、建築を通して次世代に繋ぐ、そのお手伝いをしたいと考え、日々仕事に取り組んでいます。

そして様々な方のご縁により、2019年1月に朱雀ロータリークラブに入会させていただきました。まだ入会4年ほどの新米ですが、副幹事、広報委員長、子供食堂プロジェクト、釣り同好会など、活動に参加し勉強させていただいております。

私はロータリーに入会するまで「奉仕」のような分野とは無縁の生活をしてきました。子供食堂の活動で初めて引きこもりや孤食の子供達を目の当たりにし、何かしてあげなくては、という気持ちが芽生えました。これからの世の中が少しでもよくなるよう、自分にできる事があれば参加していきたいと思います。

朱雀ロータリーの先輩方からは日々優しく温かく接していただき、感謝の思いでいっぱいです。コミュニケーション能力、団結力、そして思いやりの心。先輩方の背中を見てこれからも学ばせていただきたいです。皆さま今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願いいたします。


壁瀬 宥雅

創立30周年を迎えて

 京都南ロータリークラブのエクステンションとして、創設された我が朱雀ロータリークラブにチャーターメンバーとして入会して早や30年。一緒に入会したメンバーも現在7名となってしまいました。
創設時、南ロータリークラブの内田昌一さんが特別代表として微に入り細に入りご指導して下さいました。ご自身はロータリーの奉仕の精神に深い情熱を持っておられ、「ロータリアンは斯くあるべし」ということを新しいクラブに吹き込んで下さったのだと思います。そのことが朱雀ロータリーの基本的なクラブとしての考え方というものとして培われました。
それから30年が経ち、時代の変化と共に考え方も多様化しました。クラブはその間多くの新しい会員が入会されメンバーとなられたのですが、その精神は脈々と受け継がれていると感じています。
残念ながら先般ご逝去されましたが、朱雀ロータリークラブにとって大切な方であり、改めて深い感謝の意を表したいと思います。


金島 良和

創立30周年記念投稿

 本式典が催されるのは、2023年3月21日。
 その頃、私は還暦まであと1年、長男は大学を無事卒業し就職、三浪の二男もどこかの大学へ入学しているはず、長女は高校3年生でいよいよ大学受験です。
 35周年を迎える頃には、子供たち全員が社会に巣立っているはずですので、養育費や教育費の負担から少しは解放され、時間的にも余裕ができているでしょうし、今回より少しは式典の準備のお役に立てていることでしょう。
 30周年の式典を無事成功裏に終えた次は、会員の皆様や増強されているはずの方々と共に、35周年の式典を無事迎えることができることを願うと共に、これからの5年間、どんな楽しいクラブになるのか楽しみで、ちむどんどんしています。


勝尾 青龍洞

創立30周年おめでとうございます。


久野 成人

京都朱雀ロータリークラブ30周年に寄せて

 京都朱雀ロータリ-クラブ30周年誠におめでとうございます。
私も平成10年に入会して早20数年が経ちました。たしか芦原温泉で移動例会を開き、その中で入会式をしていただきました。とても楽しい移動例会でしたが、しばらくは例会に出ること、タスキを掛けること、ロータリーソングを歌うこと等々に慣れず、いつ退会しようかと何度も思いましたがロータリーの諸先輩よりいろんな行事にお誘いを受け、自分の仕事だけでは経験できないような色々な事を学ばせていただいたり、人の絆に助けられたりして今の仕事や生活に大変役立っています。今年度はプログラム委員長を仰せつかり、楽しい例会にしたいと思っています。それと30年という節目ですので今までの京都朱雀ロータリークラブの歴史をチャーターメンバーに語っていただきクラブの良きところを継承していただくきっかけになればと願っています。今後もクラブが派閥を作らず、仲良く、楽しく、末永く運営されることを願っています。


小林 篤史

創立30周年おめでとうございます。


増田 典

30周年を迎えて

クラブか創立されて31年目になります。国際ロータリーの認証を得るまでに半年以上の待機期間があり、初代三浦会長はクラブキーマンとして一年半以上会長を務められました。現在のクラブに脈々と流れている年齢差を感じさせない風通しの良い風土を作られた偉大な方でした。
私もクラブ入会とともに年を重ね、クラブの平均寿命を上げています。有難いことにロータリークラブ在籍は様々なことを学ばせていただく場であり、鍛錬の場でもあります。今までどれほどの方々の卓話を拝聴したでしょうか、他クラブでの著名な方のお話を聞くためメーキャップも数多く行いました。ぜひ皆様にもお勧めします。コロナ禍のもと出席が曖昧になっていますが、私の気持ちは今も100%出席です。昨日、京都北ロータリークラブの65周年記念式典例会に参加する機会を得ました。呈茶を頂くと間隔をとった昼食会場に案内され食事となりました。昼間の例会ですからアルコールはありません。その後、クラブにおける式典を経て千元御家元の講話でのお開きとなりました。コロナ禍のためとはいえ簡素でしかし品位のある記念例会でした。65年という歴史が醸し出す気の張らない空間でした。
今後とも京都朱雀ロータリークラブが永遠であり不滅であり続けることとクラブ会員各位のご健康とご活躍を祈念いたします。 拝


村上 洋一郎

京都朱雀ロータリークラブ 30周年迎えられておめでとうございます。
55~6歳の時 入会を誘われ、すでに3大奉仕団体のうち2団体のお誘いを辞退しており、ロータリークラブのお誘いを断ると奉仕団体に入会する機会を失うので「60歳まで待っていただければ入会いたします。」と申し上げると、60歳を迎えた時に再度お誘いを頂き、断る理由もないので入会させていただきました。
 何も知らずに入会させていただき、すでに11年が過ぎ毎年のように新しい委員会に属し新しい活動を行い 例会、奉仕活動、親睦、友好クラブ姉妹クラブとの交流、卓話 勉強会 家族単位の懇親会、同好会 等、活動が盛り沢山ありましたが 失われた3年間ではないが 新型コロナウィールスのまん延により、全ての活動に急ブレーキがかかり、複数での集会、会合、例会も開けない状態、唯一開けるのはzoomなどのウエブ会議、と耐えることと継続させることが第一でしたが 今 復活に向かい、危険を回避して手さぐりで活動している状態かと思います、もう少しで「ウィズコロナ」頑張りましょう。


中嶋 信行

創立30周年おめでとうございます。


中村 和夫

今から20年程前の事でよく覚えていないのですがオーストラリアに居た息子の運転でシドニー近郊のロータリークラブへメーキャップに行ったことがありました。20数名のこじんまりしたクラブで、町のレストランの一部を会場にして1時頃から始まったのです。各自がカウンターにあるメニューから好みの食品を買ってテーブルで頂きながら例会が進んで行きます。皆のスタイルはすぐ近くからふらりと到着したよというラフなかつこうで、中にはつなぎで「現場からちょっと食事に来たよ一休みしたら又仕事や」が丸出しの人も居ました。珍らしく日本人が来たとテーブルスピーチをすることになり、とにかく京都の朱雀クラブから来たこと位のことを話した位でした。終わってから車の給油にスタンドに寄ったら先程のつなぎの青年が居て「これが私の仕事場や」と握手を歓迎、とても家族的な印象を受けて幸せな旅の思い出になったものです。遠い国も身近に感じられるのもロタリーの良さでしょうか。


西澤 明彦

京都朱雀ロータリークラブ30周年に寄せて

この5年間で特に印象に残っているのは、2020年度の社会奉仕委員長を務めた時のことです。 当初、 委員長に内定していた桑原会員が退会され、 突然に引き受けることになりました。 引き継いだ事業は、 ロータリー財団の地区補助金を活用して、 硬式野球ボールの再生(エコボール) 事業への支援でした。
この事業は、 元プロ野球選手の大門会員の発案で、 2018年から始められたものです。その内容は、破損した硬式ボールを、エコの観点から、ほつれた糸をほどき、破損した革を貼り直して、 練習用として十分使用できるレベルにまで再生させるものです。 エコボール事業は、身障者の雇用の確保と、資金的に余裕のない野球クラブへの運営支援となり、 この2年間で全国的に急速に拡大、発展してきています。
具体的な支援内容は、 基幹事業所である障害者施設の 「ゆめハウス」 と「スマイルワーク大久保事業所」の要望をもとに決定しました。 この年は、破損したボールを回収し、 修復したボールを納品するための、 収納ボックスを希望されました。 収納ボックス (ネーム入りのメッシュコンテナ)を155個、 全国37箇所の作業所に寄贈し、 あわせて 「ゆめハウス」 には、公園などに使用する芝刈り機と作業時に着用する作業着(ユニフォーム) 、 また 「スマイルワーク大久保事業所」にはコロナウイルス対策に空気清浄機を贈呈しました。 両事業所を訪問したり、 例会会場と事業所の作業現場をZOOMでつないで、 「社会奉仕フォーラム」を開催し、 事業内容についての質疑応答などにより、 作業現場と密に接することができました。
2018年から2021年までの3年間で行ってきたエコボール事業は、この間全国的な広がりを見せています。その一つの例として、2022年5月28日付の日本経済新聞には、「野球ボール、障害者が再生」と大きな見出しで、記事が掲載されてます。記事によると、日本ハムや学生の野球団体で作る北海道野球協議会が、2019年に同様の事業を開始して、再生したボールはすでに一万個を超えているそうです。またその記事の中に、当クラブが応援したエコボールについても、掲載されていました。日本ハムのゼネラルマネジャーで、前・全日本チームの稲葉監督も、「誰もが活躍できるしゃかいの実現に、野球で貢献したい」と書かれていました。
 このように、当クラブで先駆的に小さい規模から始めた事業が、大々的に広く大きく発展しており、今後もどのような広がりを見せるか、楽しみに見ていきたいとと思います。


野呂 輝夫

創立30周年を迎えるにあたり

私は創立15周年を迎える直前の年に入会し、今回、その15年後に30周年という節目の年を迎えることとなりました。
クラブの歴史において、ちょうどその半分の期間はお世話になっていることになります。
入会当初は右も左も分からない状態からのスタートでしたが、メンバーの皆様の支えがあって今日までロータリアンを続けてくることができました。
感謝という言葉しか浮かびません。
前回の節目であった25周年以降には、会長という大役を仰せつかることとなり、これまで経験したことのない新しい世界を知ることができました。
また、メンバーとの交流によって深めることのできた知見に基づき、社会に対して何ができるのか、いかにして貢献できるのかを真剣に考え、そして、行動に移すことの大切さをも実感しております。

そうした中、稼業の繁忙に振り回されて、最近は例会にもなかなか顔を出すことのできない時が多くあり、私自身としても忸怩たる思いをしたこともあります。
そのような状況であっても、久しぶりに例会に出席できた時などは、多くのメンバーに普段と変わらぬ声をかけていただき、嬉しさや楽しさが一層と膨らむこともありました。
まさに人とのつながりの大切さや人のぬくもりなどを直接感じることのできるひと時でもあります。

また、最近は若いメンバーの入会が多く見受けられ、クラブそのものが大変活性化している感があります。 そうしたメンバーが、今後はリーダーシップを発揮し、中心的な役割を担うことで、朱雀クラブが大きく前進していく原動力となることに大いに期待ができますし、同時に、前途洋々たる明るい未来が待ち受けているものと確信しております。
若くて勢いのある力とベテランの経験とが両輪となり、更に京都朱雀ロータリークラブが発展していく中で、私自身も微力ながら尽力してまいりたいと思います。


大谷 裕三

朱雀ロータリークラブ30周年を迎え                           

朱雀ロータリークラブの皆様、創立30周年誠におめでとうございます。 30年もの年月を重ねて朱雀ロータリークラブの歴史を築きあげてこられた諸先輩方に改めて敬意を表します。
私くしが2016年10月に朱雀ロータリークラブに入会し翌年の3月にはクラブ創立25周年を迎え、入会して半年間、クラブの皆様が25周年記念事業に向けてトップギアで準備されている中で何か自分も役に立ちたい、クラブの一員になりたいと並走したことが今も記憶として残っております。
あれから5年、瞬く間に月日が流れていくことを実感しております。
クラブ創立30周年に私くし自身が立ち会えることに感謝し、その日を迎えたい 今はそんなことを考えております。
朱雀ロータリークラブが35周年、40周年、そして50周年の半世紀に渡り世代を引き継ぎ、より一層実りある楽しいクラブであり続けることを祈念し、 私くしの寄稿とさせていただきます。 


大友 義博

30周年を迎え

 クラブ創立30周年おめでとうございます。2012年7月20周年の年度に再入会して11年、併せて今年度14年目を迎えることになりました。周年事業にはご縁があり、25周年には幹事を経験させて頂きました。この5年間、二度目の幹事、そして会長という大役を任されましたので、私にとっては、特に記憶に残る5年間になりました。二度目の幹事を引き受けました2020年2月より新型コロナウイルス感染症が国内で猛威を振るい始め、緊急事態宣言、まん延防止等重点措置が幾度となく発令されました。3年以上経過しましたが、未だに以前のような形の社会生活、状況には戻れておりません。当クラブもここ数年は様々な制限化の中、クラブ行事、地区行事の中止が相次ぎ、例会、奉仕事業、クラブ活動開催の難しさを痛感させられました。しかしながら、多くの制限のある中、久しぶりに例会を開催できた時、会員の多くが出席し対面でお会いできた時の喜びは言葉では言い表せないほどの感激でした。こうした多くの制限のある中でも、当クラブは、5年間に3年間継続事業の「エコボール再生事業」今年度も継続中の「子ども食堂支援プロジェクト」の奉仕事業、青少年交換学生、米山奨学生の受け入れを始め、会員増強に努めることができました。当クラブにとっては、胸をはれることで、大きな財産になったと思います。去年の会長年度、会長方針を「笑顔でいられるつながりを」とさせて頂き、今年度木村会長が引き継いで頂き、会長方針を「社会とつながろう そして、共に豊かになろう」とされました。これからも、会員相互の親睦を計り、少しでも社会に奉仕出来るよう進んで行きたいと思います。京都朱雀RCにより多くの方が入会頂けるような魅力あるクラブであり続けられるよう、より一層会員皆様と共に次の35周年に向け歩みを進められればと思います。


齋藤 晃

30周年寄稿文

朱産ロータリークラブ30周年おめでとうございます
30周年の記念の日に立ち合える事に感謝いたします
私は現在40才ですので私が10才の時に私RC
か発足したと考えると、長い歴史を感じます。
30周年の記念事業式典の計画をされる所などを近くて見ていま
すと、皆様の朱雀への思い等が感が出事にように
思います。色々を発足当時の話などを聞く事もあり、伝統など
大切な事を引き継いでこれからも、35周年 40周年とたずさわって
く事が出きたらと思います。今回の30周年を主体となって行って下さ
っている諸先輩方を見習って、30年後の朱雀ロータリークラブ60周年
にて元気に参加出来る様でありたいと思います。


佐東 賢一

京都朱雀ロータリークラブ創立30周年おめでとうございます。
私は、創立3周年記念例会の1996年3月13日に入会させて頂き、早いもので丸27年が経ちました。今はチャーターメンバーは42名から6名になり、私は年齢順では最高齢から5番目になりました。
入会当初は戸惑う事ばかりで不安でしたが会員達との交流の場を得て、親睦を深め、微力ながら数々の奉仕活動に参加し、多くの委員会と役職を経験し、会長職も務めました。
その間、楽しいことは数え切れないほどありましたが、創立8年目の2001年4月28日に岡山北西ロータリークラブと友好クラブを締結し、22年間友好を深める事が出来たことは忘れません。今はそれぞれクラブの事情があると思いますが、この素晴らしい友好の輪をこれからも長く続けるよう希望します。
京都朱雀ロータリークラブのますますの発展を願っております。


末友 久史

朱雀ロータリークラブに入会してもうすぐ4年になります。
この4年で社会は価値観の変化を余儀なくされる事態になり
今までの日常が非常識になる違和感、また世界と日本についても
考えさせられる日々でした。
そんな中、活動の継続が難しいと2度申し出たことがありました。当時の会長さん・会員の皆様にフォローしていただき、皆様の温かさを感じ、今も在籍させていただいております。
以前、例会以外で会員の方とお会いする機会があり、他愛もない話など本当に楽しい時間を作っていただいたことがあります。
仕事柄なかなか懇親会に参加できない私にとって本当にありがたい時間でした。
そこで朱雀ロータリークラブで今まで起こった出来事を聞き、珍事件にお腹を抱えて笑い、また心から感銘をうける話を伺い、朱雀ロータリークラブで今まで感じていた心地よさを改めて実感しました。
ひとりひとりの小さな輪のつながりが個々に結び付き、地域社会から世界へと掛り合う
大きな輪になるのだと思います。そのひとつひとつの輪は必ずしも同じ形ではなく、同じ色でもない。それでいいと私は思います。私にできることは限られていますが、行動をおこし、小さな声を聞き、豊かになるお手伝いができるよう、今後も微力ながら奉仕・貢献していきたいと思います。


砂田 隆

京都朱雀ロータリークラブ創立30周年誠におめでとうございます。
2018年に入会させて頂き早4年が経ちました。
当初は例会に出席する事すら嫌なくらいでした。
ロータリークラブとは何ぞやというのも全く分からない日々を過ごしておりました。
そして約2年が経った時に親睦委員長と言う大役を任されました。
コロナ真っ只中の時期だった事も有り全く親睦出来る状況では無い中、大変苦労をした1年では有りましたが、会員の皆様と非常に多く答弁をし、深く関われた1年でも有りました。
それ以降は私にとって楽しい会となり、すっかりエンジョイしています。これからも清く楽しい会になる様に今後も尽力して、40年、50年またそれ以上続く会になって行って頂きたいです。


田口 保志

ロータリーへの感謝

京都朱雀ロータリークラブ創立30周年に際し、ロータリアンで居られることへの感謝の気持ちを表したいと思います。
ロータリークラブとは何かも全く理解せずに、半ば強制的に入会させられた(?)我がクラブ、半年だけ我慢して辞めてしまおうと思った京都朱雀ロータリークラブですが、気付けばすっかり溶け込んで、創立25周年ではまさかと思った会長職まで拝命する事になろうとは。
今まで人生のターニングポイントとなった時点で、会員の方が親身になって助けて頂いたことは勿論のこと、最近では新しいメンバーの方々に色々とアドヴァイスを頂戴し、これまでのロータリーライフには只々感謝の気持ちで一杯です。この歳になると若者世代と中々接点が持ち辛くなっているのですが、幸い我がクラブでは才能溢れる若い会員の皆さんが違和感なく溶け込んで活躍しておられ、我々ロートル会員にも親しく接して頂いていること、本当に有難いことと感じ入っております。
今後も益々上手く世代交代が進み、京都朱雀ロータリークラブが更なる発展の道を突き進んで行くことを願って止みません。


友金 宏之

朱雀ロータリークラブ創立30周年大変おめでとうございます。
私くしが当ロータリークラブに入会させて頂いたのが2011年の11月でありました。そしてその翌年度が20周年を迎える記念の年度でございました。あれから10年早いものでございます。そして入会からの11年間で沢山の方々との出会いが御座いました。入会時にすでにおられた諸先輩方はもちろんの事、この11年間において沢山の方々が当クラブに入会をされ今に至っている訳で有りますが、出会う方々の皆さんが個性やキャラクターそして哲学を持っておられそれぞれの人生を充実した形で過ごされているように思います。そしてそんな皆さんと活動や会話を通じて触れ合える事が私にとって非常に良い刺激で有り、良い勉強になっております。これからも多くの方々との出会いの元、より良いコミュニケーションが取れ人生の彩となって行くことを期待しております。どうか皆様宜しくお願い致します。


上田 昇

京都朱雀ロータリークラブ30周年によせて

 京都朱雀ロータリークラブに2001年に入会させて頂いてから23年が経ちました。
この間、私のロータリーライフに大きな変化をもたらしたのが、ロータリー青少年交換学生プログラムです。

 2007年にアメリカからヘザーちゃん、2012年にデンマークからニエルくん、2015年にポーランドからコンラッドくん、そして2018年にブラジルからカレンちゃんと合計4人のロータリー青少年交換学生のホストファミリーを担当いたしました。
その中でも2007年、2012年の二人の交換学生は、私の家族や会社にも大きな影響を与え、その後の家族交流、会社の方向性の転換へと繋がっていき、とても大きな財産になっています。

 クラブにおいても留学生のホストクラブとして、少しずつ国際交流の機会が広がり、香港フィナンシャルセンターロータリークラブとの姉妹クラブ締結、そして香港への短期留学性の派遣事業、相互交流事業などに繋がったのではないかと思います。
特に2016年〜2018年に香港へ何度もご一緒させて頂いたメンバーの方々との素敵な思い出は今も鮮明に残っております。

 残り少ないかもしれない私のロータリーライフですが、これからもロータリーでしか味わえない、国際交流の機会を大切にしていきたいと思います。


上田 龍一

 京都朱雀ロータリークラブの創立30周年を迎えられ、おめでとうございます。
 私が当クラブに入会致しましたのは、2021年3月24日で、早いもので丸2年が経ちました。
 30年前と言いますと、私は20代後半で前職である銀行で日々仕事に励んでいた時期です。当時はロータリーと言う言葉は知っていましたが、私には関係のない組織だと思っていました。
 私は、25年の銀行員生活を終えた後に祖父母の時代から続けている文化教
(裏千家茶道)の経営を引継ぎ、今日に至ります。
 当クラブ員である学校時代の同級生の金島会員、銀行時代の後輩である藤森会員から、ロータリークラブは奉仕と親睦を重視しているから経営者として自分自身の成長だけでなく、社会への貢献も出来る組織である。
特に、京都朱雀ロータリークラブは40名弱の少人数で有るが故に、クラブ員同志も親密で社会貢献も積極的に参加しているクラブであるからと言う説明、勧誘、推薦を得て京都朱雀ロータリークラブの会員になりました。
1年目は、コロナ過でも有り、例会や行事等も少なく不安な思いもしましたが、クラブ員同志の積極的な声掛けにより親密度が深まりました。
 2年目は、当クラブ木村会長方針「社会とつながろう そして、共に豊かになろう」をテーマとして、私自身に何が出来るのか、何をしなければいけないのかを自問自答しながら、創立30周年に向け充実したロータリーライフを楽しみたいと思います。
次の35周年も、「親睦と奉仕」の二つを両立させる事で、社会に役立つクラブを目指したいと思います。


宇根田 卓

30周年を迎え京都朱雀ロータリークラブへの思い

 今年1月に京都朱雀ロータリークラブへ入会して7ヶ月が経とうとしています。入会してすぐ約2ヶ月間のコロナ休会期間の為、実質は3月から例会に参加するようになりました。なので、京都朱雀ロータリークラブの30年の歴史は、入会して一年未満の私には理解できない事が沢山あります。
 ただ90年代の金融危機や2008年のリーマンショック、2012年の東日本大震災や今も続くコロナ禍によるダメージなど、この30年の間に数えきれない程の不況の波がありました。しかしこの波を京都朱雀ロータリークラブの皆さんは上手く跳ね除け、変化していった努力は大変なことだったと思います。
 最初の頃、例会に参加していて時間の流れが緩かだなと思ったことがあります。多分この緩やかな時間が、京都朱雀ロータリークラブが30年間続く長所の一つではと思います。
 この緩やかな時間の流れを感じながら、続く35周年、40周年と京都朱雀ロータリークラブが変化し続けるお手伝いが出来ればと思います。


浦谷 悟

創立30周年おめでとうございます。
45歳で入会し、3月13日で20年となります。入会月が10周年で式典に参加させて頂きました。いきなりカメラを任され撮りこぼしがないか不安だったことを思い出します。20年間での思い出は、入会当初は先輩から話しかけていただき緊張の中にも暖かみ感じました。またクラブの奉仕事業には100%?参加できたと思います。20年間には色々な感情の起伏がありました。いちばんの思い出は2018-2019年度会長をさせていただいたことです。
1年前から権幹事と何度も相談を重ね1年間の計画を立てましたが前年度から広がっていましたコロナ感染のため、私たちの年度も計画通りには行きませんでした。私の年度方針①コミュニケーションの活性化と掲げましたがコロナで例会も何度も休会となり、逆に会員同士の顔を会わす機会が減りました。②の新しい仲間を作ろうでは、上田君、斉藤君の二人が入会し新しい仲間ができました。本当にうれしかったです。またホームページの完全リニューアルもでき、年々充実したホームページに更新していただいています。そしてオンラインツールを導入し、理事会、フォーラムに対応もできました。私が思うクラブとは
「活気に溢れ、誰でも自由に忌憚なく意見が述べられる居心地の良い場所」。現在少しずつ元気のある若い会員も増えました。彼らがこれからは先輩会員の作り上げてこられた京都朱雀ロータリークラブをさらに活力のある元気なクラブに築いてくれることを願っています。迷った時は四つのテストを口ずさんでください。

⒈真実か どうか
⒉みんなに公平か
⒊好意と友情を深めるか
みんなのためになるか どうか 
20年間有難うございました。


和田 康司

30周年心よりお喜び申し上げます
ロータリーに入って間もないですが皆様の温かい人柄に居心地の良さを感じ、この雰囲気が長く続く秘訣なのかと思いました。
益々のご発展をお祈り申し上げます


和多田 久太朗

創立30周年おめでとうございます。

 

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